明治35年 |
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書家柳田泰麓の長男として1月1日、東京日本橋川瀬石町に生まれる。祖父は江戸時代の儒学書家、柳田正斎。 |
40年 |
5歳 |
父より書のてほどきを受ける。泰麓の強い意志で小学校入学を拒否する。 |
41年 |
6歳 |
書の学習に専念。 |
大正2年 |
12歳 |
数え年12歳にちなんで12畳大の寿字を書き、父より「泰雲」の号をもらう。 |
大正15年 |
25歳 |
第2回日本書道作振会展で最高賞(文部大臣賞)を受ける。書展に対する初めての文部大臣賞(文部大臣・岡田良平)であり、旧東京府美術館竣成初の書展であった。 |
昭和2年 |
26歳 |
第3回日本書道作振会展・特選第1席 |
3年 |
27歳 |
第4回日本書道作振会展・特選 |
4年 |
28歳 |
第5回日本書道作振会展・特選 |
7年 |
31歳 |
東方書道会を同志11名と結成。その菫事審査員となる。東方書道会展は毎年1回東京都美術館にて第11回展まで開催。以後、戦争のために中断。 |
9年 |
33歳 |
東京高島屋にて、初めての個展。 |
10年 |
34歳 |
紀元二千六百年を記念する「神武天皇宮崎宮顕彰碑」(宮崎県に現存)、その他三碑の揮毫を依嘱される。 |
21年 |
45歳 |
日展審査員となる。以後5度審査員を務める。昭和38年、日展審査員を辞退。後、日展を退会(49年)。 |
27年 |
51歳 |
全日本学生書道連盟を創立し、以後38年間余にわたり学生書道の振興をはかる。 |
32年 |
56歳 |
朝日新聞社主催、現代書道20人展の企画人選に当たる。以来34回展(平成2年度)まで連続出品。 |
33年 |
57歳 |
学書院(泰麓書道会を改称)を創立。学書院第1回展を東京都美術館にて開催。以来、毎年1回開催。平成二年第32回開催。 |
38年 |
62歳 |
ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどにて個展開催。 |
49年 |
73歳 |
大阪にて個展「書人・泰雲展」開催。 |
54年 |
78歳 |
喜寿展開催(東京セントラル美術館) |
55年 |
79歳 |
個展「パリ展」開催。 |
56年 |
80歳 |
傘寿展開催(東京セントラル美術館) |
58年 |
82歳 |
1月柳田四代展開催(東京セントラル美術館)
大英図書館に紺紙金泥作品が収蔵される。
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59年 |
83歳 |
北京中国美術館において中国展覧公司主催「泰雲展」を開催。胡燿邦総書記を表敬訪問。
ケ小平主席、胡燿邦総書記両氏に紺紙金泥「書譜」「臨楽毅論」贈呈。
スイス・ローザンヌ市エルミタージュ美術館開館記念のため、読売新聞社より揮毫依頼。六曲屏風・壮子之語を制作。同美術館所蔵。
アメリカ合衆国・レーガン大統領に、紺紙金泥「福寿海無量」贈呈。
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60年 |
84歳 |
駐日アメリカ大使マンスフィールド氏に、紺紙金泥「李白詩」贈呈。
麻布東京アメリカンクラブにおいて在日外国人のための書道展を開催。
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61年 |
85歳 |
第30回現代書道20人展(朝日新聞社主催)出品作・紺紙金泥作品「離騒経」を、東京国立博物館の懇望により寄贈。
昭和天皇御在位60年を奉祝して、紺紙金泥大字四曲屏風「聖寿萬歳」揮毫。
9月28日、山梨八ヶ岳山麓に泰雲記念館竣成。
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62年 |
86歳 |
芝・増上寺に於いて、学書院筆供養大会開催。大字「観空」揮毫、増上寺寄贈。 |
63年 |
87歳 |
泰雲書法展打合わせのため訪中。(10月)
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平成1年 |
88歳 |
9月慶祝中華人民共和国成立40周年記念、柳田泰雲書法展始まる。
同月、北京展開幕式出席のため訪中。40周年を記念し40点の作品を贈呈。中国政府文化部より栄誉証を授与される。
10月西安展、11月武漢展開催。泰雲作品収蔵館工事着工。
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平成2年 |
89歳 |
1月米寿祝賀会開催。同月、昆明展開催。
2月広州展開催。
3月上海展開催。山東省泰山玉皇頂に摩崖碑建立決定。
3月25日午前9時心不全にて永眠。
4月抗州展開催。
5月南京展開催。
6月瀋陽展開催。
9月八ヶ岳泰雲作品収蔵館落成。
9月13日山東省、泰山玉皇頂にて「国泰民安」摩崖碑除幕。
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